かわいいせっかちゾンビたち—kosococo.妹
大人になると、
どうしてこう何もかもに対して急いでしまうのでしょう?
ちょっとの空き時間に用を詰め込んだり、
周りの景色をじっくり見ることもなく、急いでなくても早歩き。
そんなことしてるときっと心の余裕がなくなって、
毎日追われてる感じが増して、
さらにせっかち感が強まって、
もっと自分を追い込んでしまうような…。
私も当然その一人なのですが、最近は、努めて「急がないように」を心がけています。
突進していく牛を「落ち着け、落ち着け」となだめるような感じで。
急いでなければ、エスカレーターでは止まって乗るとか、
PCの動きが遅くなってもカチャカチャ触りまくらないとか、
相手のペースも考慮にいれるとか。
(あ、でも飲食店で待つのはやっぱり苦痛だな)
そんな風に気をつけないと、どんどんせっかちになっていき、
「待つ」ってことに対しての寛容な気持ちがどんどんなくなっていき(限界はあるけど)、
それがひどくなると、
自分の思うように行かないとイライラしたりして、
自分中心に世界が周ってるような自分勝手な人になっちゃうんじゃないかと。
しかも、結構ストレスも多いんですよね、いいことなんてない。
「私”せっかち”なの~」という人、ぜひお気をつけを。
私が毎日通勤している渋谷の街は、
大都会特有のせっかち達の練り歩く場所。
朝なんて、早歩きゾンビが大勢行き交う。
広々と開いている階段スペースを避け、
わざわざ「暗黙の了解」で開けられた狭いエスカレーターの脇を足早に歩いていく姿を
いつも不思議に思う。
そんなに自分のペースで上りたいなら、階段をチョイスすべきなのに。
下手したら、その狭いスペースを歩きたいせっかちゾンビが
エスカレーター下で詰まっちゃったりしてるんだもん。
あれは不思議だ。
多分、せっかちゾンビはそんな滑稽さに気づかないくらい、急いでいるのだ。
せっかちゾンビたちの敵は、たらりたらりと横並びに歩く女子高生たちだったりして、
そのスピード感の違いを一度に見ることができる、面白い街です。
そんなある日、
湯気を出しながら頭のランプを真っ赤に照らし歩き回っているせっかちゾンビたちが、
プッシュ~という音と共に、ランプを青に変え大人しくなる瞬間を目にしました!
そこは、滅多に車が横断しないのに、
歩行者専用信号がついている横断歩道。
車が通らないのに、
信号をつける必要があるのか!と言わんばかりに、
皆、「赤信号、車が来なけりゃ青信号」状態で、
何の迷いもなく渡りまくる場所です。
しかし、その日はそこに塾の帰りの集団下校する子供たちがいたんです。
旗を持ったおじさんが塾のリュックを背負った子供たちを並ばせて。
そしたら、どうでしょう?
その子供たちを見ながらサラリーマンもOLも皆、足を止めるではありませんか!
しかも、その足を止めた自分をちょっと喜んでいるような照れたホクホク顔。
子供たちは気づかずおしゃべりをしているのだけど、
その場にいた大人たちはちょっとした一体感さえも感じ、そのムードを喜んでいるのです。
その光景を見ていたら、その見知らぬ大人たちが妙にかわいく見えて、
すごいいい瞬間に居合わせたな~と私もホクホクしてしまいました。
子供っぽい大人が増えてると言われる昨今。
少なからず、そこに居合わせた大人たちは、
自分が大人という事を自覚し、
子供の前では悪いことできないというきちんとした大人のモラルを持った人たちだったのではないでしょうか?
こういうモラルみたいなものが、
電車の中や街中に広がれば、
もっと人に優しく、余裕のある生活ができるんじゃないかな~って思ったのでした。